{{detailCtrl.mainImageIndex + 1}}/1

水滴の自叙伝:コミューン、寿町、沖縄を生きて

4,950円

送料についてはこちら

野本三吉 著 定価 4500円+税 判型 四六判 上製 頁数 520ページ 装丁 宗利淳一 発売 2023年6月19日 ISBN 978-4-7684-5942-3 【野本三吉あゆみの年譜】 長い、長い放浪とあくなき交流。 その涯てに見えてくる「出会いの戦後史」。 1964年4月、横浜市立川上小学校に赴任。 1968年9月、東戸塚小学校を退職。 1969年3月末、前年6月の横須賀線爆破事件の犯人として逮捕され死刑判決を受けた若松善紀さんと横浜拘置所で面会。4月、山岸会「北海道試験場(北試)」 へ出発。「 新しき村」、「一燈 園」「 大倭紫陽花邑」「 心境部落」などの共同体を訪問。 1970年2月15日、晴海埠頭から東京丸で沖縄を再訪。宮古島で「沖縄ミロク会」の比嘉ハツさんらと会う。 1971年 水俣を訪れ、高群逸枝さんの夫・橋本憲三さんと出会う。8月5日、「山脈の会」に初めて参加する。 神戸に「実践人の会」森信三さんを訪ねる。 1972年4月1日、横浜市職員として「寿生活館」に赴任。5月、寿地区の実態を伝えることを目的に個人誌『生活者』を発行。 1974年『裸足の原始人たち―寿地区の子ども』( 田畑書店)刊行(第一回日本ノンフィクション賞受賞)。 1975年「寿文学研究会(1976年11月より夜間学校)」、「寿身障友の会」、俳句会「白百合」などの支え合いのグループ活動がはじまる。 1982年4月、横浜市南部児童相談所へ異動。 1991年4月1日、横浜市立大学文理学部助教授に就任。9月、「金沢精神保健を考える会」( 海の会)発足。代表を務める。 1992年6月、苦しむ中高生やその関係者の交流を目指し、「思春期講座」を開講。 1993年4月、日本社会臨床学会設立総会開催。 2000年7月、厚生省の諮問機関「社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討委員会」に委員として参加。12月、大倭紫陽花邑にて「 不可視のコミューンから二六年」開催。 見田宗介(真木悠介)さん、山尾三省さんらをゲストに迎える。 2000年10月1日、沖縄大学人文学部福祉文化学科教授に就任。この年から五年間をかけ、琉球弧45島をめぐる。 2007年4月、沖縄大学人文学こども文化学科開設。同学科の学科長に就任。 2009年 児童養護施設「愛隣園」評議員に就任。 2010年4月、沖縄大学学長に就任。 2014年3月、沖縄大学を退職。 【著者紹介】 野本三吉(のもと・さんきち) 1941年東京生まれ(本名、加藤彰彦)。横浜市立大学卒業後、5年間小学校教諭。日本のコミューン(共同体)めぐりを経て、1972年より 横浜市民政局職員となり、寿生活館(生活相談員)、 児童福祉司として児童相談所に勤務。1991年、横浜市立大学国際文化学部助教授(その後、教授となり、2002年、沖縄大学人文学部福祉文化 学科教授に就任。2010年、沖縄大学学長に就任。 主な著書 『不可視のコミューン』(社会評論社、1970年)、『地域からの教育づくり』(筑摩書房、1981年)、『風の自叙伝―横浜・寿町の日雇労働者たち』(新宿書房、1982年)、『子どものいる風景―孤立から自立への闘い』(国土社、1986年)、『子ども観の戦後史』(現代書館、 1999年)、『未完の放浪者―魂の通過儀礼』(新宿書房、2004年)、『おきなわ福祉の旅―それぞれの現場・ 地域での出会いの中で』(ボーダーインク、2005年)、『海と島の思想―琉球弧 45 島フィールドノート』(現代書館、2007年)、『生きること、それがぼくの仕事―沖縄・暮らしのノート』(社会評論社、2014年)など多数。

セール中のアイテム